バスケファン店長のNBAブログ
福井県小浜市の「珈琲屋すいしょう(旧喫茶SVZ)」店長のブログです。 店やコーヒーのブログはアメブロで書いてます。 ここではNBAの観戦レポートや感想、ニュースなどを主に書いています。

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忘れられない選手

昨日はタオルを外に干していたら夕立にあい、せっかく洗ったのが台無しです。
懲りずに今日も外に干したら現在雨が強く降っています。
もはや取り込む気にもならない……
営業中だから取り込む暇はない!とブログを書いている時間はあるのに結論づけました。
後で洗い直そ……メンドくせ……

世界バスケではアメリカのみならず、欧州や南米の選手の活躍があり、良い選手はアメリカだけにいるわけではない、と改めてアピールされました。
バルセロナオリンピックの頃では考えられないことです。
この頃…今から14年前、NBAに所属するアメリカ国外選手は10人前後だったと記憶しています。
その中でも活躍していたのは2~3人ではないかと思います。
NBAで活躍するインターナショナルプレイヤーの増加は、この14年でいかに世界のレベルが上がったかを物語っています。

バルセロナオリンピックのバスケは、
「アメリカが圧倒的な強さで優勝する」
始まる前からそう言われてきて、実際そうなりました。
今回の世界バスケで日本を25点差で破り、その後の奮闘も大いに驚かせたアンゴラは、初戦でアメリカと当たり、後半はアメリカが明らかな手抜きをしたにも関わらず、60点の大差を付けられて敗れました。
アメリカが手抜きをしなければ100点以上の差が開いただろうと言われています。
その後もアメリカの独走は続き、試合になりません。
各国の選手は試合中にベンチからカメラを構え、ジョーダンやマジックと同じコートに立っている感動に酔いしれているようでした。試合に集中してません。
結果はわかりきっているのに会場であるバダロナ体育館は超満員。
混乱が予想されるためにアメリカの選手は選手村へ入らず、滞在したホテルの前には二千人以上の群衆に埋め尽くされ、選手の送迎バスの前後にはパトカーが二台ずつ護衛につき、ヘリコプターまでも出動しました。
選手たち自身がこの騒ぎに一番驚いていたようです。
一種のフィーバーだったこのオリンピックでは、誰もアメリカを破る国が現れると思っていませんでしたし、選手たちも勝てるわけがないと思っていました。
そんな雰囲気の中、たった一人、本気でアメリカに勝とうと必死にプレーしてる選手がいました。

Drazen Petrovic
ドラゼン・ペトロビッチ(クロアチア)

確かにアメリカ楽勝、の前評判とムードでしたが、アメリカはそれに驕ったりうぬぼれたりしていませんでした。
特にジョーダンは相手が誰であろうと凄まじいディフェンスを仕掛け、ボールを奪い取って速攻からダンクを決め、他の選手もそれに続けとばかりにプレーし、その結果相手はボールを奪われ、速攻を何本も何本も出されました。
相手はたまったものじゃありません。自分たちより格上の選手が、必死になってボールを奪いに襲いかかってくるのですから。
それでもペトロビッチは闘志を剥き出しにしてプレーしていました。
予選ラウンドで対戦した時、アメリカのスーパープレーが連続で炸裂し一気に突き放された後、2連続スリーを含めて9点か11点を一人で、そして短時間で決めていました。
会場を大いに驚かせ、わたしもビックリしました。
結局、ペトロビッチ一人の活躍でアメリカを破ることは到底不可能で、決勝戦で再度戦いましたが、奮闘及ばず大差で破れて銀メダルとなりました。
このオリンピックではドリームチームの名が世界に轟きましたが、同時にペトロビッチも鮮烈な印象を残しました。
アメリカ以外ですごかった選手、と。

彼はこの頃、既にNBAプレイヤーでした。
数少なかった欧州出身の、NBAで活躍していた選手の一人です。
欧州リーグでは一人で122点を取ったこともあるこの選手でもNBAは厳しく、パッとした成績は残せていませんでした。
ですが、同じ国の出身であるブラデ・ディバッツと励まし合いながら頑張っていました。
ところが祖国では内戦が激化し、ディバッツはユーゴスラビア、ペトロビッチはクロアチアに分かれてしまい、ディバッツの親類がクロアチア兵士に殺される事件があったことで、互いの意見が噛み合わなくなり疎遠となってしまいます。
また、バルセロナオリンピックで見せたような剥き出しの闘志は、チームメイトから疎ましく思われることもあり、孤立していきます。
ルーキーの頃からジョーダンやレジー・ミラー相手でも一歩も引かずに立ち向かっていく闘志は、ペトロビッチを浮かせてしまったのです。
それでもネッツでは徐々にその才能を開花。バルセロナオリンピックの前のシーズンでは平均得点は20点の大台に乗せ、翌年のシーズンでは22点を超えてチームトップとなります。
欧州の選手でもNBAで活躍できる、とペトロビッチは見せつけ、「欧州人はシュートがちょっと上手いだけ」のイメージを覆していきます。
また、試合前に休憩しておくように、とのコーチの指示を無視してウェイトトレーニングに励み、
「ドラゼン、君は十分に鍛えられている。君に必要なのはトレーニングではなく休憩し、今夜の試合に備えることだ」
と止められることもあったそうです。
バルセロナオリンピックと次のシーズンでの活躍。ペトロビッチへの期待と名声は徐々に高まっていきます。
シーズンが終わるとペトロビッチはクロアチアの代表に合流するために帰国します。
この時、チームメイトが、
「なぜ内戦が激化して危険極まりない国に帰るんだ」
と聞いたところ、
「祖国だからだ」
と短く答えて飛行機に乗り込んだそうです。
この後、代表として少しプレーした後に立ち寄ったドイツで、いったん代表を離れます。
少しの間、オフを楽しむつもりだったのでしょう。
彼女も一緒でした。
そして……

1993年6月7日
彼は、交通事故にあい、即死しました。
享年28歳

あまりにも早すぎる、あまりにも惜しい死でした。
ペトロビッチはレーサーのライセンスを持っていたのですが、この時ハンドルを握っていたのは彼女だったそうです。
このニュースを聞いた時、
「そんなバカな…」
と固まってしまったことを覚えています。衝撃でした。
ディバッツはこの報を聞き、
「彼と和解する時が永遠に失われた」
と悲しんだそうです。
ペトロビッチとの出会いは鮮烈で、別れは衝撃でした。

彼は欧州人の可能性を、世界にアピールした最初の選手でしょう。
ペトロビッチがいたからこそ、NBAのスカウトの目はよりヨーロッパに向くようになりました。
そして、今では実にNBA選手の30%近くがアメリカ国外の選手で占めるようになったのです。
死後、彼はバスケットボールの殿堂入りを果たしました。
素晴らしい選手ではあったものの、NBAに在籍した年数はたった4年。目立った成績を残したのは最後の2シーズンだけです。優勝もしてませんし、なにかの個人賞を取ったわけでもありません。
ですが、個人成績以上のものを彼は残しました。
NBAがワールドワイドになったのも、世界のバスケレベルが上がったのも、彼の存在が一つの大きな要因です。
その功績を認められたからこそ、殿堂入りが果たされたのです。

ドラゼン・ペトロビッチ

今回の世界バスケでヨーロッパの選手たちの活躍を見て、この名を思い出さずにはいられませんでした。
バスケットボールと祖国を愛し、鮮烈なインパクトを与えてくれた彼の名を、決して忘れることができません。
ふと彼のプレーが観たくなった時は、14年前のビデオテープを引っ張り出すのです。


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コメント

 カタロニア体育館で見た彼のすごい闘志と気迫溢れるプレイは未だに脳裏に焼きついています。アメリカ相手にほとんど1対5でシュートを決めて、すぐさまボールを奪い返すプレイがあったような、まさに不世出の選手のように思います。

 私の一番好きな選手はJ・ストックトン、次にK・マローン、そしてD・ペトロビッチです。

 今のNBAの選手もすごいのですが、私にとっては彼らの輝きはいつまでも忘れられません。
[2007/02/04 21:07] URL | mouzou #79D/WHSg [ 編集 ]

mouzouさん、初めまして。

こんばんは。



> カタロニア体育館で見た彼のすごい闘志と気迫溢れるプレイは未だに脳裏に焼きついています。アメリカ相手にほとんど1対5でシュートを決めて、すぐさまボールを奪い返すプレイがあったような、まさに不世出の選手のように思います。



 予選の方ですね。あのプレーは頭に焼き付いています。

 本当に、アメリカ以外でただ一人すごかったです。



> 私の一番好きな選手はJ・ストックトン、次にK・マローン、そしてD・ペトロビッチです。

> 今のNBAの選手もすごいのですが、私にとっては彼らの輝きはいつまでも忘れられません。



 三人とも素晴らしい選手でしたね。

 それだけにペトロビッチは惜しく、悲しいです。

 ペトロビッチが亡くなった年はレジー・ルイスも心臓の発作で亡くなっているので、悲しい年でした。

 本当、忘れられないですね。
[2007/02/05 00:47] URL | SVZのマスター #79D/WHSg [ 編集 ]

マスターさんありがとうございます。

私は今年39になるのですが、クラブチームで現役のインサイドプレイヤーとして参加しています。さすがにゲーム出場時間は格段に少なくなりましたが、体が動く限り続けていこうと思っています。

 12歳の時に偶然出会ったバスケットボール、紆余曲折ありましたが今の私の人格形成にも大きく影響していると考えております。「スラムダンク」「「ドリームチーム」「ドラゼン・ペトロビッチ」

どのキーワードも私には「あきらめない」という共通項を感じます。

 この素晴らしいスポーツ、そしてかの選手が大きく採り上げられればうれしく思います。
[2007/02/07 23:18] URL | mouzou #79D/WHSg [ 編集 ]

mouzouさん、こんばんは。



>私は今年39になるのですが、クラブチームで現役のインサイドプレイヤーとして参加しています。さすがにゲーム出場時間は格段に少なくなりましたが、体が動く限り続けていこうと思っています。



 おおっ。現役プレイヤーですね。

 わたしはもう少し年は若いのですが、現役復帰は少し厳しいです。…そもそも自分がプレーしてた期間はとても短いのですが。

 NBA観戦はもう15年くらいになりますかね…



> 12歳の時に偶然出会ったバスケットボール、紆余曲折ありましたが今の私の人格形成にも大きく影響していると考えております。「スラムダンク」「「ドリームチーム」「ドラゼン・ペトロビッチ」

>どのキーワードも私には「あきらめない」という共通項を感じます。

> この素晴らしいスポーツ、そしてかの選手が大きく採り上げられればうれしく思います。



 スラムダンクと言えば、作者の井上氏が「スラムダンク奨学金」を設立し、アメリカ留学の支援を始めましたね。

 これでアメリカへ行く日本人が増えるかもしれませんね。

 競技人口が多い割に、残念ながらメジャーとはとても言えない日本のバスケ。これがきっかけとなって世界に通用する選手を輩出し、人気が上がっていくといいですね。
[2007/02/07 23:58] URL | SVZのマスター #79D/WHSg [ 編集 ]

久しぶりにペトロビッチを思い出した。
彼ほど、シュートモーションの速いプレーヤーはいなかった。
[2015/06/12 20:59] URL | miyuupapa #- [ 編集 ]


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